時間遅れのアラーム New 2022年7月22日
暑い日が続いていますね。
ピアノ演奏のオンラインイベントがひと段落ついたので、撮影でお世話になっている方と「今回はちょっと贅沢しよう」ということで「ウナギ」を食べに行きました。
最初に出された料理にビックリしました。
横に長い大皿の上に等身大のウナギの骨が恭しく(?)横たえられて、台に載せられたままテーブルに置かれました。
次に、幾つかの前菜が入れ替わりに運ばれてきました。
その時、向かい座っていた方の携帯の音が鳴りました。
最初、誰かから電話がかかってきたのだと思ったのですが、その方曰く「これはアラームだ。」と。
そして残念そうに、「これ、何のアラームだと思う?」と聞かれたので、「分かりません。」と答えました。
「食べる前に、料理を写メることを忘れないためのアラームだった。」とボソッと呟かれました。そこで私はハッとしました。
実は前日から、「今日の料理を写真に残すこと」と、「どちらかが忘れかけたらもう一人がリマインドする」という話をしており、店に行く途中でさえもそのことを確認し合ったばかりだったのです。
それなのに、店に着いた途端、二人とも写真のことをすっかり忘れてしまっていました。
「アラームの時間をもっと早くセットしておくべきだった。」と悔しそうでした。
と言う訳で、写真はメニューの後半だけです。↓
帰りには、昔よく通っていた道沿いにある懐かしい建物が目に入り、猛暑でバテ気味だった身体も心も元気になりました。
eggrolls uzaku main
出汁巻き卵 うざく うなぎ御膳
縦歩きをするカニ 2022年5月21日
北海道に旅行中の方から、今朝タラバガニが送られてきました!
私はタラバガニは「カニの王様」だと思っていたのですが、調べてみると「カニ」ではなく「ヤドカリの仲間」ということが分かりました。
理由の一つとして、カニ特有の横歩きでなくタラバガニは縦歩きをするのだそうです。
又、カニの脚は10本であるのに対し、タラバガニは8本です。他の2本は退化して外から見えないだけで本当はあるのだとか。
滅多にお目にかからない貴重なものを頂いたこと、本当に嬉しいです!
たらばがに
ひまわり2 2021年11月18日
昨日友人と行った「ひらそる」というお店の料理が美味しかったので、「近日中に又、行こう。」という話になってます。もう今から楽しみにしています!「ひらそる girasol」の英語名はsunflower/サンフラワー(「太陽の花」)又は、helianthus (太陽神へリウスより)ですが、名前の由来は「花の色と形」にあります。インカ帝国がこの花をシンボルにしていたこと等から、原産は中南米と信じられています。16世紀以降、中南米に進出したスペイン軍がこれを持ち帰って以来、ひまわりは欧州全域に普及しました。ひまわりのスペイン語名であるgirasol/ヒラソルの「gira」は、回転・向く、「sol」は太陽という意味です。ギリシャ神話に詳しい方はご存知と思いますが、以前はキンセンカが「太陽の花」の意味を持っていたのです。しかし、ひまわりが欧州に普及した後は、これがキンセンカの地位に取って代わるようになりました。ひまわりという花の持つ「強さ」のイメージは、キンセンカの比ではありませんよね。新型コロナウィルス感染症の影響を受けて、大変な苦境に置かれた方々の中には多くの音楽家が含まれています。今、私たちが為すべきことは互いに助け合うことと同時に、ひまわりのような強さをもって太陽に向かって顔を上げ、しっかりと自分の足で立つことだと思います。新型コロナウィルス感染症の影響を受けた全ての人々が、一日も早く平穏な生活を取り戻すことが出来るよう心よりお祈り致します。
ひまわり2
ひまわり1 2021年11月17日
皆さん、こんばんは!今日は、友人と「ひらそる」というスペイン料理店でディナーしました。
入口にスペイン語でgirasolと書いてあったのを見て、私は何年も前に見た映画を思い出しました。
それは、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレン主演の『ひまわり』(原題(イタリア語): I Girasoli )というタイトルの映画です。
冷戦期にソビエト連邦で初めて撮影されたこの西側諸国による映画の音楽を担当したのは、数多くの映画音楽を手がけたヘンリー・マンシーニ氏です。
「ひまわり」は同氏の作品中とりわけ評価が高く、主題曲は世界中でヒットしました。
戦争によって引き裂かれた夫婦を待ち受けていた過酷な運命の悲哀が描かれた作品で、当時一緒に映画館に行った友人は、観終わった後しばらく目を真っ赤にして泣きはらしていました。
主題曲は下記のURLから聞くことが出来ます。とても感動的ですね。
https://www.youtube.com/watch?v=2O6-LLRdwmQ
ひまわり1
お蕎麦屋さん2 2021年11月3日
皆さん、こんばんは!
オンライン発表会にご協力下さる方が注文したお蕎麦はコレです。
イベントは本番が山頂であることは言うまでもありませんが、企画したときから終了後の余韻まで全てに緊張感と喜びがあります。
soba2
お蕎麦屋さん1 2021年11月3日
今日はオンライン発表会の撮影で協力して下さる業者さんと、お蕎麦屋さんに行きました。
オンライン発表会の撮影は、2台のカメラで2つのアングルから撮影することになりました。
参加される生徒さんは楽しみにしていて下さいね。
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ベートーヴェンの第10交響曲 2021年10月26日
皆さん、こんにちは!
早速ですが、今月9日にベートーヴェンの第10交響曲が公演されたことはご存知ですか?
こう言うと、「えっ?ベートーヴェンの交響曲は第9までじゃなかった?」と戸惑う方もいらっしゃることと思います。
ベートーヴェンは第10交響曲創作の準備過程として、断片的な楽想を作成した段階で亡くなったため、完成を見なかったのです。
これまでにベートーヴェンの技法を模倣して、この作品に補筆を加えることによって完成させようという試みがなされてきました。
まず、1988年にベートーヴェン研究者のバリー・クーパー氏が、350小節に及ぶベートーヴェン自身によるスケッチを基に、第一楽章のみを完成させました。
次に、コンピューター音楽と作曲を専門とするデイビッド・コープ氏が、彼自身の人工知能ソフトウェア「エミー」に第2楽章を完成させました。
続いて、2011年に作曲家である七田英明氏は、全4楽章から成る作品を「交響曲第10番」として発表しました。しかし、4楽章構成とするにはベートーヴェンが残したスケッチがあまりにも少ないことから、これは七田氏による作品と考える方が自然であると思います。
2019年には、マティアス・レーダー氏を中心とする音楽学者とプログラマーによるグループが人工知能を使って補筆を試みました。これは2020年4月28日に、ベートーヴェンの生誕地であるボンにて、彼の生誕250年を祝うためのメイン行事として演奏される予定でした。
しかし、新型コロナウィルス感染症拡大により延期されることとなりました。
前出のクーパー氏はこの曲の一部を聞いた上で、「ベートーヴェンの作品とは程遠い。」と、人工知能による作曲に警鐘を鳴らしました。一方、「人工知能は人間による作曲を助ける道具であって、人間の意図を歪めるものではない。」として、この作品に多大な称賛を送った人々もいます。
さて、このブログの冒頭に戻りましょう。
2021年10月9日、遂にこの作品はベートーヴェンの生まれ故郷であるボンにあるテレコムフォーラムにて、ザ・ベートーヴェン交響楽団によって公演されたのです。
賛同するか否定するかは別として、聞いてみる価値はあると思います。是非、検索してみて下さいね!
ウナギと音楽 3 2021年10月19日
皆さん、こんにちは!
今日は、クープラン氏が題材として取り上げたヨーロッパウナギを中心に、「ウナギ料理」のお話をしたいと思います。
フランスで主流とされている食用ウナギには二種類あります。
一つは「アンギーユ」と呼ばれるもので、「ウナギ目」に属するものです。
もう一つは「ランプロワ」という名で呼ばれているもので、所謂「ヤツメウナギ」になります。
後者は、「円口綱ヤツメウナギ目」に属するものですから、正しくはウナギではありません。これはボルドー地方の名産です。前回のブログに書いたとおり、クープランはフランスでももっと北の方に住んでいたこと及び、曲のタイトルがL’anguilleとなっていることから、「同作曲家の作品のモデルとなった魚は、ヨーロッパウナギであった」と結論付けられます。これは「食用」とされている種類のウナギであり、日本においては中国で加工されたものが「中国産」として市場に出回っています。
さて、日本では「ウナギ」と言えば、「蒲焼」「ひつまぶし」「白焼き」が主流となっている料理ですね。そこで、外国にはどういう調理法があるのか調べてみたところ、次のことが分かりました。
  ・フランス・・・・マトロット(ワインを使った煮込み料理)・ムニエル・網焼き・揚げ物
  ・スペイン・・・・稚魚をガーリックとオリーブオイルで軽くソテーする料理
  ・ベルギー・・・・グリーンソース煮(バジル等のソースで煮込む料理)・クリーム煮
  ・デンマーク・・・燻製にしたものを黒パンに乗せて食べる料理
  ・ドイツ・・・・・燻製(サンドイッチ等に使用)
  ・中国・台湾・・・薬味と一緒に蒸す又は煮込む料理
どれも美味しそうなので、是非いつか喫してみたいです。音楽には食事を美味しくする力がありますので、BGMにこだわりのある店を選びたいと思っています。
最後までお読み下さり有難うございました。
ウナギと音楽 2 2021年10月18日
皆さん、こんにちは!
前回お話しした「うなぎ」を題材にした曲というのは、下記の作品です。
フランソワ・クープラン作 クラヴサン曲集 第4巻 第22組曲 4.うなぎ No.22-4
Couperin, François:Pieces de clavecin quatrieme livre Ordre "L'anguille" No.22-4
「かっこう」「蝶々」「ます」「つばめ」「白鳥」といったタイトルの作品については、多くの方々に馴染みがあることでしょう。しかし、「ウナギ」となるとご存知ない方も少なくありません。
この曲は「ピアノ独奏曲」としての楽譜にも収録されていますが、クープラン(1668-1733)の時代にあってはピアノという楽器は未だ完成されておらず、もともと前身であるクラヴサン(チェンバロ)という鍵盤楽器のために創作されたものです。
クラヴサンはリュート(ギターに似た古楽器)に鍵盤を付けたものですので、ハンマーダルシマー(または鉄琴)に鍵盤が付いているピアノとは構造も音色も異なります。
「ウナギ」という曲には速いパッセージが連続的に用いられており、「言われてみればウナギかなあ。」と半ば納得しないでもないのですが、「先入観なしにこの曲の主題がウナギであると分かる人はいないだろう」というのが正直なところです。それは、ウナギが泳ぎを得意としない魚であって、素早い動きをしないため、この曲の持つスピード感との間に隔たりを感じたからであると思います。ウナギの遊泳方法は「蛇行型」と称されるものであって、体をくねらせ波打たせることによって推進力を得るものです。ですから、クープランが実際にウナギの動きを観察した上でこの曲を創作したのかどうかは疑問です。
同作曲家は18歳のときにパリ右岸(セーヌ河より北に位置するエリア)にあるサン・ジェルヴェ教会のオルガニストに就任していますから、職場又は自宅近くのセーヌ河に生息するウナギを見る機会があったことは推測されます。
次回は、「ウナギと音楽 最終回」です。
良い一日をお過ごし下さい。
ウナギと音楽 1 2021年10月17日
 皆さん、こんにちは!
緊急事態宣言が解除されたこともあって、飲食産業は少しずつではありますが活気を取り戻しつつありますね。
昨日はちょっと贅沢してウナギを食べてきました。
動物や植物を題材にした曲は多く存在しますが、ウナギをテーマにした作品があることを皆さんご存知ですか?
それについて後日のブログにご紹介したいと思います。
良い一日をお過ごし下さいね!
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 私が注文した料理  友人が注文した料理
音の色彩(5) 黄色い声(最終回) 2021年10月16日
先日、友人との会話の中で、「黄色い声」という言葉を耳にしました。
甲高い声のことをそのように表現しますので、一般的には女性または子どもが興奮したときに発する音声を指す言葉です。
「でも、どうして黄色じゃないとならないの?」という疑問が湧きました。
そこで、語源と由来について調べてみたところ、次のことが分かりました。
まず、平安時代以前にあってはお経には声の高低が伴っており、それを音譜の代わりに墨で文字の横に書き込むといった手法が採られていたこと、及びその墨の色は様々であり、最も高い音は黄色で表されていたということです。
次に、江戸時代に声を色で表すことが流行った時期があり、白い声など全5種類の声が存在していたことが分かりました。
式亭三馬(しきていさんば)の諧謔本「浮世風呂(うきよぶろ)」の中に、「気のきかねへ野郎どもだ。黄色な声や、白っ声で、湯の中を五色にするだらう。」という一文があります。
ここでの「黄色」は、ただ事でないときや耳障りなときに使う声を表現しています。
因みに、「湯の中を五色に」の5色は、青(緑)、白、赤、黒、黄の5種類ですが、江戸時代以降、黄色以外は流行から淘汰されてきました。
ただし、力んで出す甲高い声という意味の「白声(しらこえ・しらごえ)」いう当時の表現は、日本伝統芸能の一部で用いられる特徴的な発声として今でも使用されています。
三つめの説として、「黄」という漢字が持つ意味に由来するというものがあります。
この文字には、「子ども」「明るい」「興奮した」「危険」「注意」といった含みがありますが、これは昔の中国においては、「黄」は「ただごとではない」という意味であったことに由来します。
さて、諸説出揃ったところで、「黄色い声」の持つ音のイメージを具体化したいと思います。
高い声にも沢山の種類がありますが、私はこの表現から、テンションの高い嬉々とした長めの音を連想します。
所謂、「金切り声」と称されるヒステリックな声とは性質が異なるものです。
また、「キンキン声」と言われる響きに欠けた高音とも種類が違います。
類似語としてキャンキャン声というものがありますが、これは不平や文句を言い立てるときの高くつんざくような不快感を持つ語です。
一方、「黄色い声」は楽しさのあまりはしゃぎ回っている子どもたちから自然に出てくる喜びや、箸が転んでも可笑しい年ごろの娘さんたちが、「キャー」という幸せそうな悲鳴を上げるときの歓喜を表すために用いられます。
生徒さんの中には、ピアノを見ると興奮して弾き始めると嬉しさのあまり、演奏が止まらなくなる方々がいらっしゃいます。
是非、黄色い声を上げて、ピアノにラブコールを送ってあげて下さいね!
音の色彩(4) スクリャービン 2021年10月14日
皆さん、こんにちは!
先日より、音楽の中にある色彩感覚についてお話ししています。
今日は、「色聴があったかどうか不明な色彩的作曲家」をご紹介したいと思います。
こう書くと、「何のことか分からない」と言われてしまいそうですが、つまり「音楽そのものの中に色彩を見出すことは困難であるが、言動や記述の中にそれを見ることが出来る」というものです。
例えば、スクリャービンは交響曲第5番〈プロメテウス〉のために「色光ピアノ」というものを開発しました。
色光ピアノのパートは、スコア最上段に五線譜によって記載されています。
ドは真紅、レは黄色、ミは空色・・・といった指定がなされており、演奏中に音と共に様々な光が投影されることになります。
私はこの作品を動画で視聴したのですが、青い炎に始まり、次に暗闇の中に緑の光が差し込んだかと思うと赤に変わり次第に白っぽくなって行きました。
そこでピアニストが演奏に加わり、次に紫色の光の中からバイオリニストが現れました。
このように、視覚的な作品であることは確かなのですが、見るのに忙しく、音と色彩の関連というものは私には感じられませんでした。
先日、面白い記録を見つけました。それは、「スクリャービンとリムスキー=コルサコフが互いに、何の音が何色に見えるかを話し合っていた」というものです。
こうなると、「音楽は聴くものではなく、五感を総動員することによって再現されるものなのか?」と考えさせられています。
音の色彩(3) ドビュッシー 2021年10月13日
皆さん、こんにちは!
前回は「音聴の鋭い作曲家」としてメシアンを取り上げましたが、同氏は自分の他にも極めて色彩的な音楽を創作した人々の例をいくつか挙げています。
筆頭に上がるのがドビュッシーで、彼は好きな色について聞かれたときに「violet すみれ色」と答えたと言われています
メシアンはドビュッシーの作品について、「何千もの色彩があり、和音の色彩に対する比類なき愛情が溢れている。」と語っています。
ちょっと意外だったのは、メシアンが色彩的と評している作曲家の中に、ワーグナー、ムソルグスキー、ストラビンスキーと並んで、モーツァルトとショパンの名前があったことです。
同氏によると、モーツァルトは色彩的であったことにより他の古典派作曲家と異なっていたのだそうです。
蕎麦をすするときの音 3(完結編) 2021年10月11日
皆さん、こんにちは!
さて、前回は「何故、日本人は蕎麦をすするようになったのか。」についてお話しました。
今日は、「いつ頃からどのように蕎麦をすするようになったのか。」ということを、その文化的背景に焦点を当てながら、音楽との関連ということも含めてご一緒に考えてみたいと思います。
蕎麦をすする行為の発祥起源は、江戸時代の江戸(現在の東京)にあると広く信じられています。江戸には商売をするために多くの人々が地方から流入しており、彼らは凌ぎを削り合う激しい競争社会で生き抜くことを余儀なくされておりました。彼らは多忙を極めていたため、仕事の合間に短時間で食べられるものを好んでいました。江戸の蕎麦はそれに適していたらしく、注文するとサッと出されて、客はササッと食べてはパッと出て行くのが常だったそうです。
しかも、蕎麦の前から既に存在していた「うどん」より栄養価が高いこと等により、江戸の蕎麦はビジネスマンの中でたちまち人気メニューとなったのです。そのため、これまで沢山あったうどん屋が蕎麦屋に転身し、江戸の蕎麦は遂には「江戸名物」の地位まで得るほどになりました。この時代の社会にあっては、音を立てて食事をすることは無作法なこととして認識されていました。ということは、蕎麦がすすられて食べられていたわけではなかったということになります。
では、いつから蕎麦がすすられて食べられるようになったのでしょうか?
それについて調べていくうちに、次のことを知りました。
則ち、当時、江戸の蕎麦屋の客の多くは男性だったということです。
それには、前述した通り、職人や商人などが仕事の合間に素早く食べるために立ち寄ることが多かったこという事情もありますが、どうもそれだけではなかったようです。
当時、かけ蕎麦は、「ぶっかけ」という汁ものをかけた食べ物の仲間とみなされていた風潮があったようです。「ぶっかけ」というものは、女性とっては下品で無作法であると考えられていました。ですから、江戸においては「蕎麦は男が食べるもの」と見なされる風潮があったのです。そういったジェンダーのこともありますが、もう一つ面白い事実がありましたのでご紹介します。
当時の蕎麦屋に設置したあったテーブルは背が低かったため、麺を箸でつかんで口元に運ぶまでに麺は伸びた状態になりがちでした。慌ただしく食べる人が多かったとういう事情により、彼らは一気に麺を吸い込んだ後それを口中で冷ますために息をかけ、その際に吐き出した呼気をすすって食べていたのです。忙しい最中に立ち寄る客に提供されていた料理なので、麺は短い方が合理的と思うのですが、事実は逆でした。当時の蕎麦屋は、「どれだけ長い蕎麦を作れるか」を競い合っていたのです。客はその競争に呼応すべく、ズズッと大きな音を立てつつ長い蕎麦と格闘しつつ食べていたのでしょう。
さて、私はここで新たな疑問に直面しました。
それは、「盛り蕎麦」のように、冷たいつけ汁につけていただく蕎麦をすすって食べる行為に関するものです。
関西においては、「盛り蕎麦」や「ざる蕎麦」よりも汁に入った「かけ蕎麦」の方が好まれていたため、前者であっても「つゆ」に浸して食べるやり方が主流でした。一方、関東にあっては、武士は「盛り蕎麦」を、町人は「かけ蕎麦」を、そして農民は「うどん」を好んで食べる傾向がありました。江戸での盛り蕎麦の食べ方は、長い蕎麦の先をほんの少しつけ汁に付けるといったもので、この食べ方をすると、蕎麦だけが先に口に入り、蕎麦の味を十分に楽しんだ後、蕎麦の先に汁が付いた麺が口の中に入ることになります。この方法は蕎麦本来の旨味を堪能できる上に、見た目としても美しい食べ方として、江戸に住む男性の間では密かなブームになったそうです。言うまでもなく、この食べ方の流儀によると、薬味など他のものを入れることは許されません。しかし、経済的に苦しく身分も低かった人々は、大根おろしや種々雑多の薬味などをつけ汁に入れて、それを麺にかけて混ぜて食べていたのだそうです。そうすることによって、満腹感が得られやすくなるからでしょう。
このような事情から、麺をすすって食べ始めたのは、江戸っ子文化の創始者である「町人」であると考えてほぼ間違いないでしょう。
江戸っ子という言葉から多くの人は「江戸生まれの人」を連想するのではないでしょうか。しかし、実際には「江戸生まれの先祖を持つグループ」と「仕事のために地方から移住して来たグループ」に分けられ、前者は「元祖江戸っ子」、後者は「自称江戸っ子」と称されることがあります。
「元祖江戸っ子」の中には、武士が好んだ盛り蕎麦を、武士のように優雅に食べることに憧れていた人々が少なからずいたと推測されます。一方、「自称江戸っ子」は、彼らは江戸とは異なる故郷の文化や地方ならではの価値観を捨てることなく、ビジネスにおける競争が激化していた江戸で成功することに明け暮れていました。そこに参勤交代でやって来る地方色の強い武士たちが加わり、江戸では江戸出身者以上に地方出身者の数が増え続けて行ったのです。地方から江戸に移住した「自称江戸っ子」は、江戸時代の中期以降、寛政期の後に登場し、町人文化が開花した文化文政期に勢力を拡大していったと言われています。そして、元祖江戸っ子よりも自称江戸っ子の数が上回る時期に来ると、「元祖江戸っ子の生み出した伝統的なダンディズムの性格を持つ美学から、庶民的な価値観を持つものへの変遷」が見られることになります。
江戸の蕎麦屋で音を立てて麺をすするのが当たり前になったのは「江戸時代後期とされているので、「蕎麦をすする習わしは、地方からの移住者である自称江戸っ子によって広められた」と考えて良いでしょう。無作法とされていたこの食べ方を敢えて貫いたことを通して、彼らは盛り蕎麦を美しく粋に食べる武士や元祖江戸っ子に対して、これまで蔑まれてきた自分たちの在り方に対する反骨精神を表明したのかも知れません。
このことは、ヒップポップに代表される多くの路上文化的な音楽が社会における差別や逆境を乗り超える過程で誕生してきた歴史にも似ています。当時としては大都市であった江戸にあって、逆境にあった人々の全てがこうした生き方を選んだわけではないとしても、「江戸っ子を自称した人々」の中には、社会的身分を超えた人権意識や、不条理の中にあっても尚、成功に向かって努力を続けるだけの気概があったのではないでしょうか。
こうした事柄を背景に持つ「蕎麦をすする行為」も、やがては明治時代の到来と共に否定されるようになっていきます。それは、明治政府と当時の人々が、音を立てて食べることがマナー違反とされる西洋文化を盲目的に称賛したからです。それでも尚、現代の日本人の間で「蕎麦をすする」という習わしが受け入れられているという事実は、自称江戸っ子の精神を引き継ぐ人々によって、「西洋文化に盲従するのではなく、江戸の流儀に誇りを持って大きな音を立てながら蕎麦を食べようではないか」という精神が尊重され、子孫の代まで伝えられ続けてきたからに違いありません。
「蕎麦をすするときの音」には、伝統的音楽の均衡と秩序の支配からの離脱を宣言した前衛音楽と共通するものがあるように思います。様々な文化の中で生まれた性質の異なる音楽を受け入れるのと同じように、マナーをはじめとする食文化の違いを理解した上で尊重する者でありたいと願っています。
ペットのためのピアノ その2 2021年10月10日
皆さん、こんにちは!
今日は、先日お話した「ペットのためにあるピアノ」という意味の解き明かしをしたいと思います。
人間の可聴範囲を超える低い音として標準外のピアノに付加されている鍵盤について、私の生徒が「それらのピアノはペットに音楽を聴かせるためにあるんだよね?」と聞いた記事の続編です。
その生徒は、人間の可聴領域が他の多くの生物のそれより狭いことを指したのです。
しかし、こういったピアノの音を聴かせるために飼えるペットはかなり限られています。
それは、多くの生物が高周波音に対する鋭敏な聴覚を持っている反面、低周波の音を聴き取る能力については人間の方が勝っているからです。
私が知る限りでは、この条件を満たすという意味において、ペットとして選ばれるべきものは下記の動物たちです。
① 象 ②シロイタチ ③シロナガスクジラ
一部の両生類、魚類、爬虫類、昆虫類の中にも、人間より低い音を聞き取ることが出来る生物がいるにはいるのですが、彼らの聴覚システムが人間のそれとは大きく異なるため、音楽として認識することは不可能であると思われます。(記憶力、周波数弁別能力、聴覚の時間的特性など)
さて、ここでおさらいクイズを出します。楽しんで下さいね!
問題:次の生物を、より低い周波数の音が聞こえる順に並べ替えなさい。
①ヒト ②ネコ ③シロナガスクジラ ④白イタチ
ペットのためのピアノ その1 2021年10月08日
皆さん、こんにちは!
標準的なピアノの鍵盤が88個あることは、皆さんご存知ですよね。
ベーゼンドルファーのグランドには、最低音を長3度低いF(ファ)まで4鍵を拡張して92鍵にしたものや、インペリアルモデルと称される97鍵あるピアノもあります。
102鍵のStephen Paulello(フランス)や、108鍵のSTUART & SONS(オーストラリア)はあまり知られていないのではないかと思います。
付加されているそれらの鍵盤は、左側つまり低い音の側にあります。
一般に確立されている人間の可聴周波数帯域は20Hz~20,000Hzですが、ほとんどの人はこれより狭い範囲の音しか聞き取れません。
音楽と可聴周波数の関係は、1オクターブ上がるごとに周波数が2倍になります。 標準型のピアノにおいては最低音のラ(A)は約27Hz、最高音のド(C)は約4186Hzです。
以上の事柄により、演奏時に最低音であるラ(A)より低い鍵盤を実際の演奏の際に使用することは非常に稀なのです。
しかし、その部分と連動する弦や響板などによって作り出される倍音が、音響における違いを生じさせるのです。
さて、先日のレッスンの中で、そのことをよく知っている私の生徒が、次のように言いました。
「左側にたくさん鍵盤がついているピアノって、ペットに聴かせるためにあるんだよね?!」
皆さんにはこの意味が分かりますか?
解き明かしは明日以降のブログに書きます。
楽しみにしていて下さいね!
蕎麦をすするときの音 2 2021年10月07日
外国人の方より、「日本人はどうして蕎麦をすするのか?」と質問されたことがあります。そのときの私は、「自分はすすらないので分かりません。」という無粋な答しか思いつきませんでした。
それを機に、私はこの素朴な疑問を解明すべく追求に乗り出すことにしました。
まず、私の頭に思い浮かんだのは、「この行為は蕎麦に限ったことではなく、他の麺類にも共通しているということ」及び、「ワインやコーヒーのソムリエなども味の一部として香りを分析するためにこの行為を行っているということ」です。
ソムリエは液体の香りを嗅ぎ、これだけでは分析しきれない香りを恰も空気を吸い込むようにして「ズズッ!」とすすって口の中に入れた後、鼻から空気を抜く際に感じる香りを分析します。これは、一般的なレストランなど公衆の席で行われるものではないということを除いて、蕎麦をすする行為と似ています。
蕎麦はそのまま香りを嗅いでもその素晴らしい特有の香りは楽しみづらいものですが、すすることによって鼻から抜ける蕎麦本来の香りを味わうことが出来るのです。
すすらなければ香りが半減するので、蕎麦をすする行為は美食家のたしなみであると主張した人が多かったため、その解釈が広がり、蕎麦だけではなく、うどんやラーメンもこの暗黙のルールに入れられるようになったのだそうです。
しかし、2016年10月にツィッター利用者によって使用された「ヌーハラ(ヌードルハラスメント)」という造語が発端となって、この行為がマナーに反するものであるのか、日本の文化として尊重されるべきものであるのかを巡って議論が交わされるようになりました。
外国人の中には「すする行為」により発せられる音を嫌う方々が多いですから、私は「西洋由来の麺を食するときには避けることがマナーである」と思っています。
音と文化が均衡を保ちながら共存することはしばしば難しいことですが、これは音楽にも相通ずるものなので一考に値すると思っています。
蕎麦をすするときの音 1 2021年10月06日
昨日は、緊急事態宣言が解除されてから初めての会食をしてきました。
会食と言っても取引先の代表者と二人だけで、短時間の昼食をご一緒したに過ぎません。
アルコールやアクリル板の設置はありましたが、店内は閑散としていました。
蕎麦専門の小さい飲食店で、私はそこに初めて行きましたので、壁やテーブルに置かれてあった民芸品や手作りの小物が私の目を引きました。
蕎麦屋さんは、仕事上での会食をするには向かないとされています。
それは、麺をすする時の「音」がマナーに反すると考えられているからです。
それで私は、蕎麦を食べるときに多くの人が出している「音」のルーツを辿ってみました。
すると、面白いことが分かってきました。
それについては長くなりますので、明日以降のブログに少しずつ書くつもりでおります。
それにしても、音というものが私たちの生活や文化に与えてきた影響の大きさを知れば知るほど、音楽がますます好きになりました。
魚の出世に学ぶ 2021年09月25日
皆さん こんにちは!
緊急事態宣言下でステイホームの生活が続いていますね。
私は昨日、久々に外食を楽しみました。
メニューが豊富で迷ったのですが、結局、刺身とイナダの煮付けを注文しました。
実は、私は「イナダ」というものを知らなかったので、同席していた友人に聞いたところ、出世魚の一種であることを知りました。
出世魚というのは、成長とともに名前が変わる魚のことです。
inada inada2
いなだ(料理前) いなだ(料理後)
単に大きくなるというだけでは出世魚とは認められず、味や風格が上がっていく魚に限られます。
さながら徳川家康が、竹千代→元信→元康→家康と名前を変える毎に偉くなっていったようなものです。
さて、私はイナダを口に入れた瞬間、この魚と初めて出会ったような気がしませんでした。
どこかで、何度もお目にかかっていたかのような懐かしさに包まれたのです。
そこで私は、イナダについて調べることにしました。
すると面白いことが分かりました。
私は子ども時代を九州で過ごしたのですが、私の母は「ハマチ」を使った料理を作ることがよくありました。
出世魚の代表格である「ブリ」のことを、成長過程によって関東では、ワカシ→ワカナゴ→イナダ→ワラサ→ブリと呼び、九州では、ワカナゴ→ヤズ→ハマチ→メジロ→ブリと呼ぶのだそうです。
私が昨日食べたイナダは、名前を変えたハマチだったのです。
それを知った途端、子どもの頃の記憶がたくさん蘇ってきてとても幸福な気持ちになりました。
私のワカナゴ時代はピアノを玩具と思っていたらしく、台所から幼児用の椅子を引きずってきてそれによじ登ってはピアノで遊んでいたそうです。
ヤズ時代に入ると、学業と練習を両立することが困難になったことで、ピアノを継続するかどうかという選択で悩みました。
ハマチ時代に突入すると、私は普通科高校に通っていたこともあって、ピアノの練習はまさに時間との闘いでした。
私は現在、自分をメジロ(関東ではワラサ)だと思っていますが、そういった悩みとは日々直面しています。
私はまだ、成長途上にある未熟者に過ぎませんが、いつかブリになる日が訪れることを夢見ながら一生懸命に努力を重ねております。
生徒の皆様におかれましても、他の事柄との両立や練習時間の確保など数々の問題に直面されることとは思いますが、どのような状況にあっても音楽を一生の友にして頂けると喜びに堪えません。
インベンションは易しいのか難しいのか? 2021年09月22日
バッハのインベンションは、多くのピアノ学習者にとって鬼門であると言われています。
一曲一曲を完成させるのに大変時間がかかるということは、皆さんに共通していることなのです。
インベンションは初級から中級に移行する時期に用いられる教材ですから、レベルとしてはさほど高くないと言えます。では、何故この曲集が多くのピアノ学習者を悩ませることになっているのかについて考えてみましょう。
この曲集に収録されている作品は、「ポリフォニー」という複数の独立した声部を重ねる手法によって作られています。これに対して、単一の旋律が和声に乗っている音楽は「ホモフォニー」と呼ばれており、この作曲技法によると主旋律以外の声部が和声を形成しているため、左手は主として伴奏を担当することになるのです。
ただし、各曲の中にはその両方が混在することが多いため、区分が出来るわけではなく、あくまでも「どちらの側面が強いか」という見方になります。「インベンション」は、同作曲家による「平均律クラヴィーア曲集」という全2巻から成る作品を演奏するための、謂わば、導入書としての位置付けにあります。この平均律クラヴィーア曲集においては、各曲が「プレリュードとフーガ」という二つのパートによって構成されており、前者が比較的自由な作風であるのに対し、後者は厳格な制約のある形式に則って書かれています。
フーガというものには、或る声部が単独で開始し、次いで別の声部が同一旋律を5度上(4度下)で模倣するという規則があり、最も一般的なものとしては、提示部と嬉遊部が何度か反復された後に追迫部が現れるといった形を呈しています。
フーガの中には、提示部ごとにそれぞれの声部が変形を伴いつつ同旋律を順次演奏するといった特徴を持つものもあり、又、フーガの種類によって求められる作曲技法は異なります。こういった複雑なフーガを演奏することが出来るようになるためには、まずインベンションを学習する必要があります。
インベンションにはフーガほど厳格な形式が適用されている訳ではなく、あくまでも「フーガ的要素」や「カノン的要素」が適宜に用いられているというものです。
いずれにせよ、学習途上にある生徒さん方は、使い慣れない左手を旋律として歌わせなければならないのですから、習得に時間がかかるのは当然のことなのです。このことに加えて、インベンションを難しくしている要素が他にもあります。
それは、「複数の旋律を同時に聞き取ることが出来るだけの聴力を求められる」ということです。
私は自分の生徒に、「一つの声部を片手で演奏しながら、もう片方の声部を声に出して階名唱するといったことを日々の練習に採り入れること」を勧めています。
左手のパートを弾きながら右手のパートを歌うことは比較的たやすいかも知れませんが、逆は大変難しいとお感じになることでしょう。
手の運動能力を向上させることに偏った練習方法だけでは、この聴覚的能力を向上させることがあまり期待出来ません。最後になりますが、お用いになっている楽譜のエディションを確認して下さい。
多くの先生はヘンレ版などの「原典版」を推奨されていますが、これは作曲家の意図に忠実にあるという点では優れる反面、知識や経験が乏しい学習者が使用すると困難をもたらす可能性を孕んでいます。
クラシック音楽を解釈するにあたって、絶対的な権威を持つとされるのは「作曲者のみ」ですから、「解釈版」「校訂版」と称されるエディション即ち、作曲者以外の考えが書き加えられた楽譜は、専門家の間にあっては必ずしも高く評価されているものではありません。
しかし、学習途上の生徒さん方が原典版を使用するとなると、テンポ、フレーズ、強弱、指使い、装飾音符といった基本的な事柄においてさえ、大きな過ちを犯すことが有り得ます。作曲家が書かなかったことについてヒントが加えられた複数の解釈版や校訂版を対照させることで、生徒さん方は「同じインベンションでありながら、こんなにも多様な弾き方や解釈があるのか。」と驚き又、作品に対して新たな認識を持たれることでしょう。
楽譜を何冊も用意するのにはお金がかかりますが、後に大きな実が成ることを考えると、それは決して高い買い物ではないはずです。
単に、印刷された譜面を目で追って音を出すといった受け身の練習方法ではなく、楽譜と向き合いながら何が正しい方法か、どれが自分に合っている奏法か、作曲者の意図はどこにあるのかといった事柄を自ら模索してゆくことが大切です。「インベンション」とは、本来、「創意・工夫」という意味ですが、バッハ自身は「インベンションとシンフォニア」への序文に次のように書いています。したがいまして、彼が原義を離れて、「探求や発見」といったことを使用者に期待していたであろうことは容易に窺い知れます。≪鍵盤楽器愛好家、とりわけ学習希望者が2声部を綺麗に演奏するだけでなく、更に上達したならば3声部を正しく、そして上手に処理し、同時に優れた楽想(inventions)を身につけ、しかもそれを巧みに展開すること、とりわけカンタービレの奏法を習得して、それとともに作曲の予備知識を得るための明瞭な方法を示す正しい手引き。アンハルト=ケーテン公国宮廷楽長 1723年 ヨハン・セバスティアン・バッハ作≫
これらの助言が生徒の皆様の学習に役立つことを願って、この記事を投稿いたします。
中秋の名月 2021年09月20日
今年の「中秋の名月」は明日21日ですね。「中秋の名月」は「芋名月」とも呼ばれるもので、秋の夜空を美しく飾ります。しかし、「中秋の名月」は、必ずしも「満月」になるとは限らないのです。
国立天文台によると、その理由は2つあります。1つは「中秋の名月」は太陰太陽暦の日付(新月からの日数)で決まるのに対し、「満月」は太陽、地球、月の位置関係によって決定されるからです。もう1つ、月の公転軌道が楕円形なので、新月から満月までの日数が変わるということも関係しています。
今年は8年ぶりに「中秋の名月」と「満月」が同じ日になります。
満月には英語圏で様々な呼称がありますが、特に9月の満月は収穫の時期にあたるため、「ハーベストムーン」と呼ばれます。
私は、明日の夜が待ち遠しくてワクワクしています。
私たちの音楽も、私たちに多くの収穫を与えてくれるものでありますように!
音の色彩(2) メシアン 2021年09月6日
皆さん、こんにちは!
今日も前回に続いて「音の色彩」についてお話ししたいと思います。
「色聴」と言うと、多くの方々の頭に浮かぶのは、ラフマニノフの「音の絵」とかムソルグスキーの「展覧会の絵」など、タイトルからして明らかなる視覚的な意図をもって創作された作品群だと思います。
私はまず第一に、オリヴィエ・メシアンを思い浮かべました。
それは私が学生時代から同作曲家による作品を好んでいたことや、2008年の同氏生誕100周年記念に因んで幾つかのピアノ曲を公開演奏したことなどに拠るものです。
さて、同作曲家の著書に、「リズム、色彩、鳥類学による作曲法」というものがあり、その第7巻第3章の冒頭には、彼が音楽を聴くときや楽譜を読むときにはいつもそれに対応する色彩が見えていたことが書かれています。
同氏のレッスンを受けた人々は、「紫色に弾いて」「もっと緑色の和音にして」といった具体的指示があったことに驚いたと言っています。
メシアンの色聴が複雑な構造を持っていたことは、同氏自身が「音楽を聴くと音の複合体に相応する色彩の複合体が私の中で見えるのだ。」「私の諸和音は色彩であって、和音は頭脳に色彩を発生させ、色彩は和音と共に進展する。」と語ったことによって明らかにされています。
同氏は自らの作品〈アッシジの聖フランチェスコ〉の様々な主題や場面に色を織り込みましたが、色聴のない人々にはそれを識別することが出来ないため、分析という手段によって色をめぐる様々な議論がなされてきました。
アッシジの第一幕はヒバリの鳴き声で開始しますが、これは「作曲法」の第5巻によれば、チョコレート色ということになります。
また、中心となる「聖フランチェスコの主題」は、「真っ白な雪の上で輝く金色の太陽の色」と言われていますが、その根拠はメシアンが構成した48種の固有な和音番号の12-Dの和音にあります。
メシアンは「私が色彩をこめても聴衆には何も見えないのが残念だ」と述べました。しかし私たちに具体的な色が見えなかったとしても、彼の作品中に輝く色彩的な響きを堪能することは出来ますよ!
音の色彩(1) 色聴という共感覚 2021年08月18日
皆さん、こんにちは!
ピアノを習っていらっしゃる方は、先生から「もっと温かい音色で」とか「柔らかい音色で」などと言われたことがあるのではないでしょうか。
このように、音に色があるということは、ピアノの世界では当たり前のこととして認識されています。
しかしこうした一般的な能力とはまた別に、音楽を聴く時や音を頭に思いう浮かべながら楽譜を読む時、それに対応する具体的な色彩が見えるといった特殊な能力を持っている人々がいます。
それは複数の知覚が同時に影響し合うことによってもたらされる現象であって、一説によると、五感が未分化である生後3カ月未満の子どもには起きているとされています。
そういった知覚現象のうち、音から色が見える感覚は「色聴」と称されます。
作品に色彩を盛り込んでいる作曲家と言えば、多くの方はドビュッシーを思い浮かべるのではないでしょうか?
私はメシアンの名前を一番に思いついたのですが、実はそのメシアン自身が、色聴の鋭い作曲家の筆頭(自分を除く)としてドビュッシーを挙げているのです。
同作曲家は他にもスクリャービン、リムスキー・コルサコフ、ムソルグスキー、ストラヴィンスキー、ワーグナーを挙げており、意外だったのはショパンとモーツァルトも色聴の強い音楽家として名を連ねていたことです。(出典:オリヴィエ・メシアンその音楽的宇宙 音楽之友社)
これらの作曲家について興味が湧いてきましたので、次のブログでもう少し掘り下げてみたいと思います。
暑い日が続いていますので、皆さんご自愛下さいね。
セミの合唱 2021年08月16日
暑い日が続いていますが、皆様お元気でお過ごしでしょうか?
今日は朝からずっとセミの鳴き声が続いているので、「一体、何の種類のセミだろう?」という聴音!にチャレンジすることにしました。
午前中はミンミンゼミの大合唱が華々しく、午後になるとアブラゼミのジリジリジリという油で揚げるような声が優勢になりました。その中で、ニイニイゼミと思われるチーという高い声が一日中鳴り響いています。チッチッチッと単調ながらも規則的なリズムを刻んでいるのはチッチゼミだと分かりました。ジーンジーンと連続して長音を発しているのはエゾゼミです。
時折ツクツクボウシの歌声も聞こえますが、夏の終わりが近づくにつれてこのセミの出番は徐々に多くなります。
そして秋の到来を予告するときが来ると、ついに彼らが主役の座を勝ち取ります。
その日を待ちわびつつ、この酷暑を乗り切りたいと思っています。
緑の中に潜むもの 2021年07月2日
少し前からピアノ教室がある建物のすぐ傍に、「ヘビ出没注意!」という注意書きが掲示されています。
それに気づいた生徒さん方は、好奇心より「どのくらい大きいの?」など様々な質問を投げかけました。
実は、私はまだ一度も目撃していません。そして、出会える瞬間を心待ちにしています。
というわけですから、彼らの出現については心配しないで下さい。
ご存知のとおり、昨今のような湿っぽい気候下で活動的になる野生動物って結構いますよね。
特に入間市は山々に囲まれていますから、豊かな自然が残っています。
ヘビは歓迎しませんが、自分の街の生態系システムが健全であるということを、私は喜ばしく感じています。
ウィステリア・ピアノクラスが入っている建物の管理組合は、つい昨日より植栽のリニューアルを実施しています。
教室を訪れる全ての方々がピアノを満喫すると同時に、緑に囲まれた美しい環境を堪能されるよう願っています。
孫悟空の頭にある輪 2021年05月18日
皆さんは、緊箍児(きんこじ)という名前を聞いたことはありますか?
孫悟空の頭にある輪のことです。
感情的に好き勝手に行動する孫悟空を制限するために、三蔵法師が呪文を唱えることによって彼を支配するためのグッズです。
この緊箍児はおとぎ話と思われがちですが、実は万人が持っている性質なのです。
皆が奔放に行動すると社会の秩序が乱れますから、緊箍児で頭を締め付けられる孫悟空のように、自らの行動を制限するといったことは、全ての人々が行っていることだと思います。
しかし、思考過多に陥ってしまうと、今度は情報や理論に振り回されて、自分のしたいことや本来のあり方を見失ってしまいます。
緊箍児に例えると、その状態は「思考という呪文を唱えることにより、孫悟空の輪っかに頭を締め付けられ行動できなくなった」と言うことが出来ます。
聞くところによると、頭蓋骨は23個の骨で成り立っており、それぞれの部分が拍動したり、骨自体が拡張したりしているのだそうです。(クラニオセイクラルセラピーにおける概念であって、医学的には頭蓋骨の23 個の骨は縫合が強固のため動かないとされています。)
考えすぎている時って、頭がキュッと締まった感覚というか、骨間にスペースが小さくなって頭の中の血流が悪くなっているような感じがしませんか?
それが首や肩、背中の緊張に繋がってしまいます。
長年ピアノに関わってきた中で感じていることですが、演奏家、教師、学習者(成人)の区別なく、緊張型の方々が非常に多いということです。
整体やマッサージに通っておられる方もよくお目見えします。
そういった外的なアプローチも良いですが、思考傾向を転換させることにより締まった頭蓋骨が緩んできます。
そして、身体が変わると思考のパターンも自ずから変わってきます。
心身の状態を整えてピアノに向かったとき、今まで聞こえなかった音が鮮明に聞こえてきます。これまで悪戦苦闘していた難しいパッセージが、魔法にかかったように楽に弾けることもあります。
アーユルヴェーダに学ぶ 2021年04月18日
昨年からのステイホームの影響で外出が少なくなったことで、食材をはじめとする料理に嵌ってしまいました!
その中で、特に感動した食物の一つに「グラスフェッドギー」というものがあります。
グラスフェッドというのは文字通り、牧草だけを食べて育ったという意味ですが、私はこれまでに「ギー」を食べたことがなかったので、この機会に購入してみました。
ギーは、アーユルヴェーダ(インドの医学)によると、「最も優れた油」になります。
脳の65%は脂肪なので、良質の油を摂取することは、健康のために重要であることは言うまでもありません。
身体の硬さをほぐし、濁った思考や精神を浄化する効果があるので、ピアノを弾く人にとっては魅力的ですよね。
これを長期的に、適量を守って常用することによって、長く健康に過ごせるのだそうです。
アーユルヴェーダの最古典“チャラカ・サンヒター”中には、ギーの効能について以下の記述があります。
 ・ギーは記憶力、理性と知性、精液、活力素、脂肪組織を増進させる
 ・ヴァータ、ピッタ、中毒、精神異常、肺病、不運、発熱を鎮静する
 ・ギーは最も優秀な油で、多数の薬力的効力を持つ
 ・古いギーは、てんかん、失神、肺結核、精神異常、中毒、発熱、女性性器、耳・頭の痛みを鎮静する
 ・ギーは毒物や錯乱を除去させる
 ・不調や病気を緩和・治療する
 ・体力・健康寿命を長くする
 ・感覚機能・治癒力を高め、やけどなどの治療にも良い 等等
「最も良い油がギー」だとすると、「最も良い糖はハチミツ」と言うことも出来ます。
そこで、ギーと非加熱のハチミツを、一緒に食卓に並べました。
それが美味しいのなんのって!!
まさに至福のひと時を味わいました。
・・・その夜、恐ろしいことを知りました。
アーユルヴェーダの中に、「蜂蜜とギーの同時摂取は『死をもたらす』」とあるのを読みました。
「蜂蜜と等量の雨水、蜂蜜と等量のギーを食すと死に至る」と書いてありました・・・。
まさか、雨水は飲みませんが、私は蜂蜜と等量かも知れないギーを食べましたっ!(*_*;
今のところ元気です・・・。
それぞれが良いものであっても、組み合わせが悪いと逆効果になるというのは、ピアノの練習にも相通ずることです。
よくプログラムされてない安易な訓練で、せっかくの音楽性を摘まないよう、適量を正しい方法で与えることによって長期的な結果を出す「アーユルヴェーダ」に倣いたいと思います。
音楽で頭が良くなるってホント? 2021年04月01日
音楽教育が聴覚以外の脳機能の発達に影響するということは、今日までの研究によって既に明らかになっています。
具体的には、ワーキングメモリー、自制心、柔軟性というもので、それらは「実行機能」と称されます。
米国ではこれらを実証するために、MRIを用いた試験が行われており、その結果、音楽の訓練が前頭葉の機能の発達を促すことが判明しています。
そればかりか、神経線維に対する変化や、側頭葉の可塑性も証明されております。
これらは、現段階においては、音楽教育を受けた子どもたちの脳においてのみ確認されていることです。
更には、「脳梁」と呼ばれる即ち、大脳半球間をつなぐパイプ部分の前方部分に関しても明らかな発達が見られるのだそうです。
音楽の訓練は、「ピッチ」「リズム」といった事柄に限定されているように思われがちですが、脳内のネットワークや認知機能に計り知れないほど大きな影響を与えています。
私たちが音楽から受けている恩恵は素晴らしいですね!
人工知能とピアノ教師 2021年02月22日
AI技術の急速な発達によって、私たちの仕事の有り方というものが大きく変化しつつあります。
「これから生き残る職業は何か?」という質問に対し、「生死に関わる分野と、芸術関係の仕事はなくならない。」という答が返ってきました。
次のような職種が、リストに上がりました。
 ・医師
 ・看護師
 ・保育士
 ・学校教員
 ・心理カウンセラー
 ・美容師
 ・ミュージシャン
 ・映画監督
 ・デザイナー・美術家
 ・トラベルコンダクター
ピアノ教師の仕事は、ミュージシャンであると同時に、保育士や学校教員と共通している部分があります。また、デザイナーや美術家のと同じく、常に創造性を要求されます。そして時には、良き心理カウンセラーであることも必要です。
つまり、ピアノ教師という職業は、これからも廃れることがないようです!
新型コロナウィルスの問題が始まって以来、ステージイベントに従事するミュージシャン、教室を経営されている先生の両方が、大きな困難に直面しました。
しかし、私たちの明るい未来を信じて、希望を持ちつつ頑張って行きたいですね!
「はた」と音楽 2021年02月13日
私の教室では、生徒さん方がよく自作曲を持って来ます。
子どもさん方は、ときどき数多くの「はた(音鈎)」が付いた音符を好んで用います。
「はた」が一本の音符は8分音符、二本になると16分音符・・・という風に、本数が増えると音価が短くなり、多くの場合、高速で演奏されることが意図されています。
生徒たちは面白がって、無数の「はた」を持つ音符を自作曲に採り入れ、「高速」「演奏不能」などといったタイトルをつけます。
32分音符、即ち3本の「はた」は、一般的な曲でよく使われていますが、5本の「はた」を持つ128分音符についてはご存知でしたか?
ベートーヴェンの悲愴ソナタOp.13第一楽章の中で、作曲家は128分音符を用いています。
また、アルカンも作品中に、多くの「はた」を持つ音群を含めています。
連鈎(複数の音符が繋がっているもの)の場合は直線で記されますが、単音の鈎は曲線なので、尻尾のような形になります。
子供たちはそういった音符の形を見たときに、「奇妙な虫みたいで変だ」と批判します。
しかし、音楽上の理由であれば、たくさん重なった奇妙な尻尾や虫たちを、積極的に用いて下さいね!
フレーフレー テクノロジー! フレーフレー姉妹!! 2021年02月05日
姉妹で私の教室に長く通っていらっしゃるご家庭から、「この春、九州に引っ越すことになった」との知らせを受けて悲しくなりました。
「これからもオンラインで先生のレッスンを受けたいです。」という言葉を聞いて、その悲しみは、瞬時に喜びに変わりました。
九州から遥か北にあっても、音楽を聞くことが出来るのは驚きですね。
新しい音楽に向けて 2021年01月01日
新年おめでとうございます。
今年は少し、「現代音楽」という語について考えてみたいと思っております。
この言葉から多くの方は、21世紀ー即ち「現代」の音楽より、むしろ「20世紀の音楽」を連想されるのではないでしょうか。
ですから、この用語を「無調音楽」という言葉に置き換えている人々もいます。
あらゆる作曲技法が駆使され尽くしたと言われている現代に生きている私たちは、様々な音楽を再評価したり、楽しんだりする特権に恵まれていますね。
クラシック音楽の終焉が来たと主張する人々がいる現代にあっても、新たな音楽の可能性を信じて、新しい年に突入したことを、歓喜と期待をもって受け止めたいと思っています。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
ヴァンパイアの歌 2020年12月31日
今年も残すところ、あと一日となりました。
皆さんはどのように、真夜中の12時をお迎えになりますか?
この時期には「蛍の光」の歌が流れることも多いですね。
これはAuld Lang Syneという有名なスコットランドの詩が元になっているものです。
直訳すると、「昔々」となります。
さて、ここで今年最後のクイズです。
問:大晦日に吸血鬼は何を歌うのでしょうか?
(ヒント:タイトルの一文字を変えてみて下さい。)
今年も一年間、生徒さん、親御さんをはじめ沢山の方々に支えられてきたことを、深く感謝いたします。
携帯が鳴ったらファゴットを演奏すべし! 2020年12月26日
コンサート会場に行ったら、必ず「携帯電話の電源をお切り下さい。」と案内されますね。切ったつもりでいたのに、着信音が鳴り出してしまったら、かなり焦ってしまうでしょう。
下記はある音楽ホールにあった貼り紙です。
「もしも貴方の携帯電話がコンサート中に鳴ったら、貴方はステージに上って、ファゴットを演奏するよう求められることになります。」
ファゴットは、演奏するのがとても難しいことで知られている楽器です。こんな羽目に陥ること考えると、会場に行った人々は皆、自分の携帯の電源が切られているかどうか再確認することでしょう。
こんなユーモアあふれるコンサートホールには、何度でも足を運びたくなりますね!
薄らぐことのない音楽への想い 2020年12月25日
新型コロナウィルス感染拡大防止のため、公開イベントの開催が制限されてから数カ月が経ちました。
ステージ参加は、生徒さんに新たな目標を与えるものであるばかりか、他の演奏者と音楽を共有する貴重な機会ですね。
この時期にあって、私たちはこれらのことを、諦めるより他ないのでしょうか?
答は「ノー」です。
公開されているオンラインによる演奏や、録画によるコンサートを検索してみて下さい。
また、ご家族の中だけで発表会を行うことも、生徒さんにとって良い機会となります。
私の教室では、年が明けてから、録画によるピアノ発表会を開催することになっています。
生徒さんのうち数名は、既にその準備に取りかかっています。
この困難な時期にあって、テクノロジーが私たちの音楽活動を支えてくれていることに、心から感謝しています。
そうすることによって、この難しい時期にあってさえも、ステージ演奏が許される時期が再び到来する日まで、私たちのピアノに対する情熱と興奮は、決して薄らぐことがありません。
グランドタイムの頂点 2020年12月3日
今日は生徒のお母さまから「オーディションに合格した!」という嬉しい知らせを受けました。
その子が通う学校の合唱祭でピアノを担当する伴奏者が、一人だけ選ばれるというものです。
まずは、「お目出とうございました。」
お母さまは「他の挑戦者たちはグランドピアノで、その課題曲を最後まで弾き通すだけの体力がなかった」と仰いました。
だからこそ、この楽器が「グランド」と呼ばれているのです。
オーディションを受けた全ての生徒さんに、努力を称えて拍手を送りたいと思います。
グランドピアノはパワフルな楽器ですから、弾きこなすためには強靭な指と、腕の力をコントロールする技術が必要とされます。
今回合格した生徒は、はじめのうちは、和音を弾くときに小指で豊かな音を出すことが出来ませんでした。
ところが、その子は自分の弱点を克服すべく、驚異的な集中力をもって練習を重ねました。
今回のオーディションのために、彼は2週間のちに5回ものレッスンを受けました。(うち一回はオンライン。)
彼は今回の結果と称賛に値しますよね!
だからもう一度言います。「お目出とうございました!」
カブリオールのまなざし 2020年11月30日
18世紀の欧州、ロココ文化が華やかになった頃に大流行した家具のデザインに、カプリオールというものがあります。
カブリオールのピアノに魅せられていた生徒のご家庭が、今日、ヤマハYUS5Mhcというアップライトピアノをご購入になりました。
このモデルの脚のデザインは、動物の脚をモチーフにした緩やかなS字を描く曲線による優美なものとなっています。
カブリオールレッグ、カブリオレレッグなどとも呼ばれますが、これらはいずれも、「弾む」「跳び上がる」という意味のフランス語による舞踏用語です。
カブリオールの語源はイタリア語のカブリオーラ(雌鹿の跳躍)が由来であるといわれ、17世紀ごろのフランス家具には、既にこの原型が存在していました。
YUSシリーズはもともとヤマハの上位機種で音質やタッチも優れているため、今回のご購入にあたっては、黒塗りの同ランク機種とずいぶん迷われたご様子でした。
YUS5Mhcはデザインがひときわオシャレで、「猫脚に魅了されてしまった」というのが決め手になったそうです。
なぜか日本では、「雌鹿脚」ではなく「猫脚」という言葉が定着しています。
素敵な カブリオレレッグピアノ の到着が待ち遠しいですね!
賞の価値とは? 2020年11月15日
昨日は、ソロアンサンブル祭という音楽イベントが開催されました。
これは、関東地区のインターナショナルスクール規模で行われる恒例の年間行事です。
しかし、オンラインで実施したのは今回が初めてでしたので、実験的な側面もありました。
東京、神奈川、千葉、埼玉より多くの生徒さんが参加されていたのを見て、嬉しい気持ちになりました。
夜遅く、電話の着信音が鳴りました。
その知らせから、三つの嘆息が起きました。
まず、私の生徒の一人が「金賞」に輝いたことで、本人が興奮気味でした。
次に、お母さんが「ヒャー!」と叫びました。
最後に、私を感動させたものは、生徒の次の言葉でした。
「もし私が金賞でなく銅賞しか取れなかったとしても、先生に対する私の感謝の気持ちに、何ら変わりはなかったでしょう。」
中世の電気 2020年11月4日
チェンバロという楽器を、皆さんはご存知ですか?
グランドピアノに似た形ですが、あまり重くないため、16世紀の演奏会時には持ち運ばれていました。中世に発展した鍵盤楽器で、現代のピアノの先祖と言える楽器です。
ところで、この楽器は、タッチによって強弱をつけることが出来ません。
電子ピアノで練習している生徒さんから、次のような質問を受けました。
「じゃ、チェンバロにも、電気で音量をコントロールするボタンがあったんだよね?!」
ルートヴィッヒ生誕248年周年?! 2020年10月30日
11月に企画されている演奏会(オンライン)に向けて、生徒さんたちは練習に熱がこもっています。
さて、今回の演目のひとつであるベートーヴェンソナタは、新約聖書の異名を取るほど、西洋音楽史の中にあって重要な地位にあります。
同作曲家については、多くのエピソードが広く語られてきました。
特に、今年はベートーヴェン生誕250周年記念ということで、愛好家の方々にとっては特別な年ですね。
「同作曲家は1770年12月16日に、ドイツのボンで生まれた」という説は、広く信じられています。
しかし、1770年12月17日に洗礼を受けたという記録が教会にあることを除いて、彼の出生を裏付ける資料はありません。
1772年オランダのズトフェンで生まれたという説もあります。
ベートーヴェンは「自分が1772年生まれ」と公言していました。
彼の父親が息子を「第二の神童」(モーツァルトが神童と称えられたことに対抗して)として売り出すために、出生年を2年誤魔化した(実際は8歳なのに6才と偽った)という話も、真偽は別として有名ですね。
もし「1772年誕生説」を支持するとなると、「1770年誕生説」を裏付ける「洗礼証明書」がベートーヴェン本人のものでなかったことになります。
「ベートーヴェン誕生前に亡くなった同姓同名の長兄のもので、それを2年後に弟が引き継いだ」とすることも出来なくはないですが、「長兄は1769年に誕生後まもなく亡くなっている」ということからすると、時系列的に無理があります。
2017年にズトフェンでは、ベートーヴェンの両親が滞在した宿屋のあった通りの再開発を行い、その際、文化財の発掘作業が行われました。
そのときに、「ベートーヴェン生誕の謎を解く手がかりが見つかるのではないか?」と期待されたのですが、彼の1770年ボン生誕説を覆すほどの有力な遺物は発見されずに終わりました。
したがって現時点では、1772年オランダ・ズトフェン誕生説を肯定する論拠は乏しいです。
しかし、それ以前に1770年誕生説を否定する論拠も存在しないのです。
知り尽くされているように思われがちな音楽家たちに秘められている謎は、まだまだ沢山ありますよ!
防音・防菌 2020年9月30日
 当ピアノ教室は、先月末に、全部屋の除菌清掃作業、および噴霧消毒作業を実施いたしました。
感謝なことに、三人のスタッフは、とても丁寧かつ心の行き届いた作業をして下さいました。
彼らがレッスン室に入った時、「おおっ!」という叫び声が聞こえました。
「お、音が聞こえない!」「驚きだ!」「「どうして?!」と、口々に言いました。
その場面がおかしくて、私は内心笑ってしまいました。
これからは、綺麗な防音室の中でピアノ演奏を楽しむことが出来ますね!
ダンブルドアの奇跡 2020年8月30日
リムスキー・コルサコフ(N. A. Rimsky-Korsakov)の作品に、The flight of bumble bee(熊蜂の飛行)というものがありますが、じつはbumble bee とはクマバチではなく、ドイツ語で言うところのマルハナバチ(hummel)の英名なのです。ですから、訳としては「マルハナバチの飛行」が正しいということになります。
ディズニーの『くまのプーさん』の挿絵に、ハチミツ壷と共に描かれる可愛い蜂は、色パターンの理由により、「ミツバチではなく、マルハナバチなのでは?」との指摘があります。西洋文化の中で、マルハナバチが親しまれていることが窺えますね。
また、ハリー・ポッターシリーズに登場するホグワーツ魔法学校校長のアルバス・ダンブルドアの「ダンブルドア(Dumbledore)」は、古いデヴォンの言葉で「マルハナバチ」を意味します。作者のJ・K・ローリングは、音楽好きで鼻歌を歌いながら歩き回っているイメージを、「ダンブルドア」と名付けたのだそうです。
デンマークのスポーツメーカー「ヒュンメル」は、このドイツ語(発音はデンマーク語に従う)を社名としています。1923年、ドイツ・ハンブルクで、メスマー兄弟がメスマー社(Messmer)創業し、雨の中のサッカーの試合からヒントを得て、泥の中でも滑らないスタッドのついた靴を発案したことにより「今まで不可能であったプレーを可能にした」という点と、「マルハナバチは身体が重いために飛ぶことができなかったが、努力を重ねてついに飛ぶことができるようになった」という逸話を組み合わせて、ブランド名に「ヒュンメルhummel」と命名しました。
「マルハナバチの飛行は航空力学上不可能」とされた時代がありましたが、現在は、レイノルズ数や動的失速(dynamic stall)を考慮に加えた計算によって、かつては、飛行能力の謎とされていた事柄が解明されています。
さて、ヨハン・ネポムク・フンメル(Johann Nepomuk Hummel, 1778年11月14日 - 1837年10月17日 )というスロヴァキア(当時のハンガリー)出身の音楽家の名前も、実は「マルハナバチ」という意味なのです。
フンメルは、ベートーヴェンの葬儀において、棺を担いだ人物であり、故人の追悼演奏会においては、ベートーヴェンの意思を引き継いで、多くの即興演奏をやってのけたほどの実力を持っていた音楽家です。
モーツァルトにピアノを、ハイドンにオルガンを習ったフンメルは、30代にして名声に翳りが出て来ます。59歳にして世を去った彼の人生の背景については、幾多の興味深いものがあります。
ピアノを学ぶにあたって、年齢、経済、体格、才能、所有楽器、練習時間、周囲の理解など、障がいとなる問題を全く持たない人は、殆どいないのではないかと思います。
しかし、マルハナバチの重い身体は、自然界の力学に逆らって空中に上がり、遂には、「飛行」という偉業を成し遂げました。
私たちも、マルハナバチのように、人々に「不可能」と言われても、尚、努力し続ける強さと、音楽に対する情熱を持ち続けたいものですね!
Un, Deux, Trois – Flats・・・ふらっと、ふらっと、ふらっと・・・ 2020年7月30日
作曲家はそれぞれに豊かな個性を持っていますが、エリック・サティは音楽史上、最大の変人(?!)であったと言われています。
今日は同作曲家による「三つのサラバンド」(Trois Sarabandes)についてお話ししたいと思います。この曲は、かの有名な「ジムナペディ」より少しだけ早い時期に創作されました。
Trois(トロワ)というのはフランス語で「三つ」という意味です。
さて、サティは調性や拍子記号、遂には小節線まで廃止することを実行した作曲家ですから、各音符に振られた臨時記号というものは、絶対的な意味を持ちます。
伝統的な和声理論に基いて書かれた曲であれば、その臨時記号が何の音から派生したものか、音楽を専門に学んだ人なら容易に見抜けます。
つまり、その音が鍵盤上で同一の場所に位置するとしても、例えば、それが「Eのシャープ」であるのか、「Fのナチュラル」なのか、「Gのダブルフラット」なのか、「Dのトリプルシャープ」なのか、旋律の動きや和声進行より、その記譜の根拠を知ることが出来るのです。
しかし、サティの「三つのサラバンド」の作曲法はその範疇にないため、それが困難であると言えます。演奏はいたって簡単です。もし、これが異なった臨時記号を用いて書かれていたとすれば、初見で演奏出来る人は非常に多いことでしょう。
実は、さっきから第一番の冒頭部分を数小節弾いてみているのですが、「その臨時記号がそれでないとならない」という理由を解析することが出来ませんでした。
それで、次のような無謀な結論に至りました。
即ち、サティは、簡単な曲をあえて難しく見せるために、或いは、演奏者が譜読みで大変な思いをするように、わざと分かりづらい臨時記号を選択したのではないか?ということです。
彼の奔放なスタイルは当時の批評家たちから酷評を受けました。しかし、彼は、彼の後に生まれた音楽家たちに、大きな影響を与えることになりましたね!
ダブルキャスターの向き 2020年6月29日
皆さん、こんにちは。
グランドピアノは、キャスター(車輪)の向きによって、音が変わるということを、皆さんはご存知でしたか?
「外側」に向けた方が音質が向上するため、コンサートホールでは、殆どの場合、車輪の向きはそのように設置されます。
しかし、当教室のグランドピアノは、あえて「内側」に向けています。
移動する時に、設置の人から「どちら側に向けますか?」と聞かれました。
このピアノはダブルキャスター付のセミコンサートグランドなので、シングルキャスターのモデルの比にならないほど、それによる違いが明らかになるはずです。
(グランドピアノの脚に付いている車輪が一個ならシングル、二個ならダブルキャスターです。)
しかし、レッスン室の空間ということを考えると、ホールで得られる体感より、私は「地震対策」を優先しました。
同じ理由から、インシュレーターも音質優先の木製から、耐震性に最も優れた材質の物に交換しています。(音響を最優先するのであれば、インシュレーターを敷かないことです。)
ショパンコンクールでは、複数の演奏者が変わるたびに、ピアノが変わるため、そのことが疎かにされていたことが取沙汰されましたね。そのことにより、演奏者の技術を上回るほどの変化が起きることはまずないでしょう。
しかし、それがピアニストの単独リサイタルであったなら、やはりその場に最高の音を求めて、芸術家はステージ上にあるピアノのキャスターを、外側に向けることでしょう。
当教室のグランドピアノは、安全上の理由を最優先して、地震が来ても横滑りをしないよう設置してあります。
カシューナッツのピアノを弾こう! 2020年5月29日
「どうしてピアノは黒いのか・・・?」
皆さんは、こんなことを考えたことがありますか?
19世紀前半までに製造されていたピアノの多くは、木目調でした。
18世紀にあっては、ピアノの上蓋や側板が、天使や植物などで彩られているものが多いですが、それは、「そのような装飾を通して、音楽以外の教養や趣味の高さをアピールする」という意図があったからです。
18世紀から19世紀にかけては、「金色の縁取りがなされる」など、装飾に手をかけたピアノも沢山作られました。
日本に最初にピアノが持ち込まれたのは、今から195年前の1823年(文政6年)のことです。
バイエルン王国(現ドイツ)の医師、シーボルトが、この年に長崎の出島に運び入れました。
塗装の歴史をみると、1800年ごろまでは木目で、表面には、ニスが塗られただけだったようです。その後、漆(天然のラッカー)が使われ、次第に、色が黒くなって行きました。
日本で製造された初期の黒塗りピアノの塗料には、大概、日本の伝統工芸の漆(うるし)が使われています。
恐らくですが、「湿気の多い日本の気候は、欧州と同じ木目仕上げは適さない」と考えられたからでしょう。漆は湿気に強く、しかも高級感があるため、最適な塗料と言えますね。
その後、ヤマハとかカワイ等がピアノ生産を競い合う中で、木目調も製造されていましたが、「木目調のピアノを作るには、薄く削いだ木目の板をピアノの表面に貼り付けて行く中で、ピアノ全体の木目模様を合わせる手間がかかる」一方、「黒いピアノでは木目を合わせる必要がない」という理由より、1920年以降は、ニトロセルロースのラッカーが塗料として用いられるようになります。
1950年頃からは、カシュー (1950年にカシュー株式会社が発明した合成塗料で、カシューナッツを原料にしたもの)が世界的に使用されるようになったので、世界中のピアノの黒の塗料の供給は、日本のカシュー社が行っていたということになります。カシューは漆に近いもので、湿気に強く、耐久性もあり、見栄えも良いため、高価な漆に代わり、瞬く間に、世界中のピアノの塗装に使われるようになったのです。
その後、石油化学の発達に伴い、ポリエステル等の黒色塗料の品質が向上し、同時に、二つのメーカー(ヤマハとカワイ)が生産コストを下げるために採用した黒塗りのピアノは、高度成長期の急速な需要の増加に応えるべく、非常な勢いで人々の間に普及してゆきました。
現在、木目調のピアノも製造・販売されていますが、多くは黒いピアノに比べ割高です。また、塗装が薄いため、外からの影響を受けやすいようです。ですから、外観、音質の両方に関して、メンテナンスをしっかり行う必要があります。
ところで、日本のメーカーが採用した「黒」が、何故、国際的に定着したのかということについては、まだ疑問が残ります。何故なら、カシュー塗料は「透明の場合、少し茶褐色になる」ということを除くと、色選択がほぼ自由に出来たからです。
今、数名の生徒さんがピアノのご購入に関してお悩みです。そのひとつが塗装です。黒にしようか、木目調にしようか、白にしようか、最近はクリスタルという選択までありますから、迷ってしまいますよね!
不思議なバッハ 2020年5月1日
バッハ(Bach)と聞くと、多くの方は、J. S. Bach(ヨハン・セバスティアン・バッハ)を真っ先に思い浮かべられることでしょう。
長男のW.F.Bach(ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ)や、次男のC.P.E.Bach(カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ)、七男のJ. C.F.Bach(ヨハン・クリストフ・フリードリッヒ・バッハ)と九男のJ. C. Bach(ヨハン・クリスチャン・バッハ)も有名ですね!
私は、P.D.Q Bachという名前を初めて見たときに、彼が誰であるのか、また、P,D,Qが何という名前の略なのか分かりませんでした。
P.D.Q.Bachはヨハン・セバスチャン・バッハの21番目の子どもで、1807年5月5日、バーデン・バーデン・バーデンにて死去したとなっています。彼の墓に「1807-1742」、即ち、生年と没年が本来の表記と逆になっているのです。CDのジャケットにも、P. D. Q. Bach (1807–1742) と書かれています。
この謎に満ちた人物については、知れば知るほど愛着が沸いてきました!皆さんは、この不思議なバッハをご存知ですか?!